2023.06.28

続・超一流について ③

彼が超一流の講師であることは、その指導の確かさ、実績もさることながら、指導する対象の幅の広さがまず挙げられる。年齢、科目、学力レベル、試験の種別等、多岐にわたって、実力を発揮できるのである。中学入試、高校入試、大学入試、資格試験に対応し、いずれも教える相手の学力レベルを問わない。
中学入試、高校入試は全科目の指導が可能、大学入試は彼が文系だけに数Ⅲの指導のみ、教える受験生の学力レベルが一定程度、限定される。資格試験は、公務員試験や中小企業診断士、行政書士の資格試験で必要とされる法律に対応する。カバーするのは、憲法、民法、行政法、経済原論(マクロ、ミクロ経済学)、財政学はもちろん、一般教養の数的処理にも及ぶ。

そんな超一流講師が、どうして私の勤務する塾で受験生の数学を担当してくれたのか。
時給にすれば、4分の1にも満たない。同じ京都府内とはいえ、彼の自宅から近い距離にあるという訳でもなかった。単にお金のためなら、ほかにいくらでも仕事がある。実際、舞い込んでくる指導の依頼を次々に断っている状況なのである。にも関わらず、私のいた塾で働いてくれたのは、常に自らを高みに引き上げていこうという熱意からである。

個別指導を中心に経験を積んできた彼には、「俯瞰して、見る視点」に欠けているという自覚があった。「俯瞰(ふかん)」の視点とは、ここでは、担当する子ども(大人)と自分(教師、講師)の向き合い方、と言ってもいいかもしれない。教えられる側と教える側の関係性とも言い換えられるだろう。
「鳥瞰(ちょうかん)」とも言うが、事象、対象を平面で捉えるのではなく、空間的な広がりを加えた視点で捉えるのである。人間の視点ではなく、鳥の視点で眺めれば、全体像をより的確に、客観的に把握することにつながるということがご理解いただけるのではないだろうか。
俯瞰の視点を持てれば、自らが知覚し、把握する「現実」の見え方が全く異なる。そして、空間的な広がりを持つ以上、指導の確かさはより増すことはまちがいない。
個別指導における学習指導は、相手に合わせて行われて初めて、その指導効果が最大化される。誰にも彼にも同じ指導法、指導内容では、効果は限定的なものにならざるを得ないのだ。一人を対象にする際、指導する相手の学力、性格、修正すべき課題、志望校合格までに入れるべき知識や大まかなカリキュラム、これらを彼のような超一流は、短時間、短期間で掌握し、学習効果を最大化、最適化させる。
けれども、集団指導における学習指導では、いかに超一流とはいえ、一定の時間も必要となり、別の切り口が要求されるのだ。クラスを構成する一人ひとりの生徒を「俯瞰」して眺め、クラスを一つの対象、単位として、全体的な底上げを図ることが求められる。
その視点、観点を自らのスキルに加えるため、非常によくできる子もいれば、学力的にシンドイ子も混在するクラスの指導を、金銭面の条件は度外視して、受けてくれたのである。
指導を受ける子どもたちはもちろん、私にとっても、こんなありがたいことはなかった。驚異的な伸びをほぼ全員が果たしたのである。超一流の実力をいかんなく見せつけてくれたのだが、彼曰く、「個別指導が自分にとって最も力が発揮しやすいことが改めてわかりました。個別指導での3分の1程度の力も出せません。申し訳ありません。」そう私に謝罪するのである。
これを3倍したら…、そう思ったら、改めて超一流のすごさを痛感するのであった。