2023.06.30

続・超一流について ④

小・中学生の学習指導を、主に集団指導の形で経験を積んできた私は、「人は変われる。」との確信を持って、仕事を続けてきた。もちろん、全員を変えてやれたわけではない。塾の講師が子どもと接する時間は長くはない。学校の先生方とは比べ物にならない短さなのだ。また、家庭によって子どもとの接し方、教育方針はまさしく千差万別である。ある程度、我々にお任せくださるご家庭が多いのは確かだが、学習指導以外の指導は不要とお考えのご家庭もある。

彼が現在、超一流講師として活躍していることは、すでに述べたとおりだ。しかしながら、彼が最初から超一流であったわけではないことも確かである。たゆみない努力や、教えを乞う子どもたちに教育者としての思いや情熱をかけ続けてきたからこその現在なのである。
ご両親の離婚と、それに伴う祖父母宅で育った子ども時代、多くを語らないまでも、ごく一般的な家庭環境のなかにあったわけではない彼が、鬱屈した思いや反発心なども抱えながら、小・中学生時代を送ったのだろうと私には映る。そんな理由からでもあろう、中学時代、実技教科の内申点は5段階の1だったという。
1が一つでも付けば、公立高校には進めない。内申点がボロボロの状態の中、大阪の私立高校に通った。私が生まれ育った場所に近いことに驚いたが、野球に熱中し、毎日、大阪城までランニング。往復すればかなりの距離である。進学校ではあっても、野球部の練習はやはりきつい。遅い時間、自宅に帰る電車の中で、「立って寝た。」そうだ。甲子園に出場するのは容易なことではない。まして強豪校がひしめく大阪大会を勝ち抜くのは、至難である。高校3年生の夏、彼の「選手」としての高校野球は終わった。

高1の夏、担任の先生の心ない言葉が、彼の闘争心に火をつけた。
「お前の成績では産近甲龍はまず無理。まあ、お前には野球があるから勉強なんかできなくても仕方ないよな。」
そこから、新たな戦いが始まった。野球に体力と時間もかけながら、猛烈な勉強に取り組んだのである。高3の夏の甲子園大会地区予選が終わった後は、野球で培った体力、気力の全てを勉強に振り向けた。東大合格のために、寝る時間、食べる時間以外、すべての時間を勉強に充てた。予備校にも塾にも行かず、独学で東大合格のあと一歩のところまで、自らの学力を引き上げたのである。
念願の、東大で6大学野球をするという夢は、残念ながらかなわなかったものの、すさまじいほどの集中力と気迫を傾け学習を継続していく中で、中学時代、ある意味、劣等生とも言えた彼は、明確に、きわめて高度な学力を持つ高校生に変貌したのである。
中学時代、内申点に1がいくつもつき、高校1年の夏には、「産近甲龍はまず無理。」と担任に「断言」された彼が、実際には、早稲田、慶応に合格し、東大文Ⅲに、あと0.699点で合格を果たすところにまで自分を引き上げた。膨大な学習量をきわめて高い集中力でこなさなければ、無理なことである。
誰もがなしうることではない。しかし、彼はその困難を自らの力で乗り越えた。
そう、人は変われるのだ。