2023.08.11

超一流について ③

殿下が超一流の塾講師であることを、まざまざと見せつけたのは、昇英塾から灘中学に合格者を輩出した年のことである。高校入試の国語はまだしも、中学入試の、特に超難関校の国語は、その教務力において、殿下には到底かなわないことを痛感すると同時に、超一流が本気を出した時のすさまじさを目の当たりにしたのであった。
特に目を見張ったのは、昇英塾で実施している、浜学園の「公開学力テスト」や駸々堂テストにおいて、出題される問題をズバリ当てることであった。社会の予想は、まさしくピンポイントで的中させていた。殿下が「ここが出る。」と断言した問題がそのまま出たことは、一度や二度ではない。深い洞察力と分析力に裏打ちされた、きわめて高いレベルの知識を持つからこそ、成しうる芸当なのである。
「どうして、そんだけ何回もぴったし当てられるん?」そう尋ねた私に対して、にこにこ笑うのみで答えてはくれなかったが、相当な時間をかけ、分析したうえでの、予想的中であることに疑いはない。

殿下は義に篤い男でもあった。
広告が出るというので、年間休校日の初日ではあったが、電話番のために本校に出てくるという話をすると、殿下は「先生が出社するなら自分も行きます。」と言う。殿下の住まいは鈴鹿市である。片道だけでも相当な距離である。出てきたからといって、交通費、手当は出ない。
「気持ちだけもうとく。殿下はわざわざ来んでいいよ。」
「いやいや、やらないといけないこともたまってるんで、ちょうどいいんです。」
そう言って、私に付き合ってくれたのである。「やらないといけないこと」が方便であることはすぐにわかった。が、私が断っても、殿下が一度言い出したことを翻すことはなく、厚意に甘えることにしたのであった。
この日、私は小学生の特進科と中学生の特進科、本科の生徒たちに課していた作文を読み込み、小学生、中学生の各一人の最優秀賞を決定し、その作品をブログにアップした。
今年3月だったか4月だったか、名張市立病院に新しく研修医として着任した医師の名前と顔写真、自己紹介文が、市報に掲載されていた。そのうちの一人は、まさしく殿下と二人、電話番のために出社した日、小学生部門の最優秀賞を受賞した塾生であった。
6年生の特進科で、私が国語を、殿下が社会を担当した。
時は移ろう。地域医療を支える一人として、これから社会に貢献していく、若き医師が、昇英塾で学んだことを忘れることはあるまい。当時、常に上位をキープしつづけた6年生当時の顔を思い出し、幼少の頃の面影をわずかに残しつつも、今は立派な大人として、医師として、自らの決意を述べる文章の確かさに、あの日、わざわざ長い道のりをいとわず付き合ってくれた、今は亡き殿下とともに、エールを送ろうと思うのである。