2023.08.15

超一流について ④

昇英塾を離れていた私に、現つつじが丘校の秋山教室長から悲報が届いた。
殿下が亡くなったー。
故人やご遺族に対して配慮せねばならない。急性心不全ということだったが、細かい経緯を記すのは控える。
殿下のお父様は早くに亡くなり、お母さまは施設に入っていらっしゃる。東京在住の弟さんご一家が家族葬でお葬式をするということだった。四十九日までは、お寺にご位牌が安置されていると聞き、日曜日、そのお寺に向かった。浄土真宗のお寺で、夫の先代住職が亡くなった後、妻である現住職が跡を継いでいるというお話であった。30分もすれば、お寺を出るところだったと聞き、殿下の導きを思った。
本堂の明かりをともしていただき、しばらくお話を伺ってから、一人にしていただいた。真新しい白木に書かれた3文字の戒名に涙があふれた。
浄土真宗で般若心経(はんにゃしんぎょう)は唱えない。ただ、浄土真宗でよく唱えられる正信偈(しょうしんげ)を私は唱えられない。「南無阿弥陀仏」と唱えはしたものの、これだけだと心もとない。僧侶もいず、私一人が執り行う、殿下への供養である。私の家は真言宗。宗派の枠はこの際、関係ない、そう思い、本堂でただ一人、大きな声で、般若心経、光明真言(こうみょうしんごん)を唱え、浄土真宗の御本尊「阿弥陀如来(あみだにょらい)」の真言「オン アミリタ テイゼイ カラウン」はもちろん、「大日如来」「薬師如来」「観音菩薩」「地蔵菩薩」「虚空蔵(こくぞう)菩薩」「不動明王」「毘沙門天」その他、知りうる限りの「如来」「菩薩」「明王」「天部」の真言を最低3回ずつ唱えて、せめてもの、ささやかながらの供養に供したのである。かつて、特進科ブログで、殿下は大乗仏教における「仏」の階層をわかりやすく紹介していた。先述の4つがそれである。僧侶でもない私が、ある種、無手勝流の供養、法要を行ったからといって、殿下は笑って許してくれるだろうと思った。