2023.10.17

「秋について ②」

前稿で、法然上人の短歌を紹介した。月を主題にした短歌は数多いが、私が最も魅かれる中の一首もやはり、月を詠んだものである。花園天皇の手によるもので、室町時代に編纂された勅撰和歌集、「風雅集」に収められている。

 

わが心 澄めるばかりに 更け果てて 月を忘れて 向かふ夜の月

 

夜が更けゆくのと同じように、私の心は澄み渡るほどに更け果て、月を目にしながら、もはやその存在を忘れて向き合っている夜の月だ。

 

仏教、とりわけ密教では、瞑想を行うなかで、自分の心を無にし、邪念や我欲を取り去る修行を行う。阿字観(あじかん)や数息観(すそくかん)という瞑想法に交じって、月輪観(がちりんかん)という瞑想法がある。これは、心の中に満月をイメージし、自分の心が満月に満たされ、その輝きが心と体の隅々にわたって満たされることを観じるものである。

花園天皇は、この月輪観を行っていたのだろうか。そうともとれるし、月輪観を行ってはいなくとも、夜空に輝く月を眺めながら、静かに座するうちに一種の瞑想状態になったとも読める。

いずれにせよ、現代のような、夜でも多種多様な照明が煌々と照らされる時代ではないゆえに、月明かりのありがたさや美しさに対する感動は、現代に生きる我々の想像を絶するものがあったに相違ない。時間の過ぎるのも忘れ、夜が更け果てるに任せて月に向かい、その美しさを観じながら、心が澄み渡り、無念無想の境地の中、月に向かっている作者の姿がとてもすばらしく、美しいものと感じられるのである。

日々の生活に忙殺され、月をはじめとする自然の美を、目にはすれども本当の意味で見て、いや「観て」いないからこそ、よけいに、この短歌の持つ、夜の月の風情と、作者である花園天皇の心象風景をすばらしいものと思えるのであろう。

「澄めるばかりに更け果てて」と「月を忘れて向かふ夜の月」が、絶妙なバランスで効いているように、私には感じられるのだ。