2024.04.11

再掲 日本の四季についてー春②

 大先生が昨日アップされた、ブログ「日本の美を求めて No.1~円山公園~」をご覧いただきたい。

 今を盛りと咲き誇る満開の枝垂れ桜が、清楚でありながら、たとえようもないその美しさを淡いピンクの色彩とともに夜空にたたえている様をご覧いただくことができる。

  道の前方左手、遠目に枝垂れ桜が夜空に映えている姿を見とめた時、まず嘆声がもれる。満開の花を身にまとった枝垂れ桜は、曇天の、漆黒の夜空にくっきりと浮かび上がり、自らの美を、その存在を、これ以上ない説得力をもって主張するかのようである。

 桜との距離は次第に縮まるが、視線はその美にくぎ付けのままだ。美しい、ということばでしか表現できない、圧倒的な美である。美の本質そのものを体現しているのではないかとすら感じる。

 すぐそばまで来た。桜の存在感に圧倒される思いがする。ことばはない。ただただ、美しい。しばし、見とれる。全体を眺め、部分を観察し、見る角度を変えようが、近かろうが遠かろうが、趣を少しずつ変えながら、やはり美そのものを具現している桜の姿に、思いあふれる気分である。ほおをなでる風が湿り気を帯びている。少し強い夜風が、雨の近いことを物語っている。

 と、その時、桜の左右から、風にあおられた花びらが、何枚も、何十枚も、吹き出すではないか。花吹雪である。桜吹雪である。

 観衆から歓声がわきおこる。「きれい」賛嘆の声がそこ、ここから聞こえる。そう、きれい。そうとしか表現できない。

 日本人でよかった。大先生がおっしゃる。同感である。桜の歌人西行を思い、その絶唱を思い浮かべる。

 願はくは、花の下にて 春死なむ その如月(きさらぎ)の 望月のころ

  満開の桜を目の前にしている。姿を見ることはできないが、今日はまさしく、望月、すなわち、満月である。願いどおり、陰暦、如月の満月のころ、釈迦の入滅に合わせるかのように、自らの死を全うした西行にあやかり、自分がこの世を去るいまわの際に、この枝垂れ桜の姿を思い浮かべられたら本望だ、そう、大先生にお伝えしたのである。