2024.05.30

「について」について ①

 私が昇英塾でブログをアップするとき、「新・実況中継」以外は、そのほとんどが「~について」となっているかと思う。何の意識もなく、そのタイトルにしていたのだが、ある時気づいた。驚いた。 

 三木清著「人生論ノート」は、哲学者、思想家である筆者が、哲学的な人生の諸問題を論じたものである。高校時代に出会い、内容の難しさに苦しみながらも読んだ。扱っている内容もそうだが、文章が難解で、当時、係り受けが一読ではわからない部分もあった。当時の私にとって、一気に読み通せるような著書ではなかった。

 困ったのは、定期テストや模試が近づくと、きまって読みたくなることであった。この著作を読んでいることで、勉強している気分になったり、本来なすべきテスト勉強をしなくてよくなるという自分への言い訳になったりするのである。当時は知る由もなかったが、心理学で「先延ばし行動」「セルフハンディキャッピング」と呼ばれる心理行動であろう。

 この「人生論ノート」の各章段の題名が、「~について」なのである。「習慣について」の中から一部を引用する。

 

 習慣を自由になし得る者は人生において多くのことを為《な》し得る。習慣は技術的なものである故に自由にすることができる。もとよりたいていの習慣は無意識的な技術であるが、これを意識的に技術的に自由にするところに道徳がある。修養というものはかような技術である。もし習慣がただ自然であるならば、習慣が道徳であるとはいい得ないであろう。すべての道徳には技術的なものがあるということを理解することが大切である。習慣は我々に最も手近かなもの、我々の力のうちにある手段である。

 習慣が技術であるように、すべての技術は習慣的になることによって真に技術であることができる。どのような天才も習慣によるのでなければ何事も成就《じょうじゅ》し得ない。 

 

 一読で、著者の思想、主張を読み取ることができれば、相当な読み手と言ってよかろう。ことばそのものは、難解ではない。しかし、文体が硬いうえ、内容的に深い洞察を含み、この前後には相当量の文章がある。初見で読み取ることは、決して易しいことではないのだ。