今は亡き「殿下」といっしょに訪れた場所を再訪しようと思い立ったことには、いくつか理由がある。
殿下の死は、あまりに突然であったし、衝撃であった。別々のところではあっても、それぞれが、それぞれのやり方、関わりあい方で、子どもたちへの教育にいそしんでいる、その思いは私を勇気づけもしたし、がっくり来るようなことが起きたときの慰めにもなった。
この広い空の下、顔は見えなくとも、ことばを直接交わさなくとも、「殿下ががんばっているんだから自分もがんばらねば。」と思わせてくれる人間の存在は大きいし、だからこそ、その存在が突然なくなった時の喪失感、悲しみも大きいものであった。
人はいつか死ぬ。人間はもとより、生を享けたありとあらゆる生物に課せられた、逃れることのできない宿命である。殿下が逝って3年め、私が昇英塾に戻ってきて2年め、殿下を偲ぶため、自分自身の記憶をいっそう確かなものにするため、再訪には意味があると思えた。
人がその死を死ぬのと同様、老舗(しにせ)の店舗や、日本国中、その名前を知られる有名企業が倒産することも珍しいことではない。時代の流れや経営の失敗等々、倒産に至る理由を挙げれば枚挙にいとまがないであろう。法人もまた、その死を死ぬのである。
春は、京都の渉成園を皮切りに、高台寺、円山公園を再訪した。今回は、福井県の永平寺を再訪したのである。
今回は、一つ絶対にその場所を特定しようと堅く心に誓っていたことがある。
殿下のブログと私のそれとが交互にあがる形で、「春編」「夏編」があった。今年4月、私が書いた「日本の四季について 春」を「再掲」して、子どもたちに文章を書かせたのであるが、殿下がアップするブログには必ず写真があり、そこにコメントがつけられる。私の書いたものも、その写真を前提にして書いたものも多く、それがない以上、感動や我々の意図、思いが正確には伝わらない恐れがあった。
「夏編」で、殿下が撮った写真をブログにアップした。永平寺内の廊下が、朝の柔らかい光を反射して、輝いているのであった。同行していた私は、その美しさに気づけなかった。殿下のアップした写真で、初めてその美に気づき、直後のブログに、「産まれたての卵のような」というたとえを使ってその美を表現したのである。そこがどこの廊下だったのか、それを絶対に見逃すまいと心に決めていたのである。