昨年度、授業開始時、ある生徒から尋ねられた。
「先生、のどが痛いんで授業中、のど飴をなめていいですか。」
この問いかけに対して、「休憩中は許すが、授業中に飴をなめるのはダメ。君にそれを認めれば、全ての生徒に飴をなめることを許可しないといけなくなる。そしてそうなったとき、のど飴と普通の飴玉を区別するのは非常に難しく、表向きはのど飴と称しながら、実は飴玉をなめている生徒を指導することが難しくなる。70分の授業中にのど飴をなめないといられないほどの症状なのであれば、授業には出ず、家でおとなしくしていた方がいいということになるのではないか。」このように答え、不満たらたら文句を言いながらも、その塾生は私の指示に従った。
次の授業、別の講師に同じように「先生、のどが痛いんで授業中、のど飴をなめていいですか。」と尋ねたその塾生に対して、講師はそれをあっさり許した。
ここできれいに評価が定まった。方や、病人である生徒に寄り添い、痛いのどを潤すためにのど飴をなめることを許してくれる優しい先生、方や、融通が利かず、のどが痛いと訴える生徒の要求をはねつける先生。わかりやすい構図である。
そうして、その生徒を中心とするグループの塾生から、徹底的に嫌われてしまうこととなる。
そのグループ内の別の生徒をつい最近叱った。授業中別の生徒とにやにやしながら話をしているのを2回目にしたので「そこの二人、次やったら相当怒るで。」すると、その塾生、最初、しらばっくれた。「私、何もやってません。」もう一人の塾生が私から注意を受けたことを認め、それを隣に座る塾生に、にやにやしながら説明したことを認めたので、最初は否定した生徒も「あぁ、それならやりました、すみません。」
授業が終わり、講師室の前を通ったその塾生、私に一瞥(いちべつ)をくれ、こう言いながら出ていった。「アイツ、ホンマ性格悪い。」
「アイツ」が私を指すかどうかの確たる証拠はない。ただ、「アイツ」呼ばわりし、「性格悪い。」と思っているのは、まちがいないであろう。叱ったことは後悔しない。そして、その生徒を叱ると、そのような悪態をつかれることは想定内である。
これも、私に対する子どもたちからの「評価」である。そして、生徒から先生への「アンケート」には相当低い点数がつけられる。いい授業をする、しないにかかわらず、この年代の子どもたちの中には、感情で点数化する者が非常に多いのである。
のど飴をなめることを許可しなかったことも、授業中、にやにやしながら隣の生徒と話す行為を叱ったことも、私のやり方であり、それで嫌われたのなら仕方がない、そう思う。