父が逝って早、一年。「光陰矢の如し」という箴言(しんげん)が、この一年ほど、身に染みた年はない。
先週末、実にささやかな一周忌の法要を執り行い、命日の昨日、墓参した。
供花は、この暑さのせいもあろう、しおれかけているものもあった。お茶を注いでおいたのだが、椀の底に茶葉のカスがこびりつき、水気は全くなかった。そう、去年のこの日もとても暑かった。
母の七回忌と合わせての法事で、改めて、両親を失うことの悲しさと向き合うことであった。
その足で福井県のいとこの家に向かった。叔父の百か日と叔母の三周忌である。法要には参加できなかったが、言葉に尽くせぬほど世話になった二人の遺影に手を合わせ、感謝の気持ちを捧げたのである。
両親や叔父・叔母の法要が自分の誕生日と重なったことに意味を見出す。忘れることがあってはならない、感謝の気持ちを常に持てという教えなのであろう。