曹洞宗の大本山である永平寺を訪れた。土曜日だけあって、さすがに人が多い。「七堂伽藍(しちどうがらん)」と呼ばれる禅宗寺院の主要な建物に入る前に、平成6年に改築されたという「傘松閣(さんしょうかく)」で、永平寺の修行風景や座禅、食事、四季折々の景色などを紹介した動画が3つあったので、それらすべてを鑑賞した。
傘松閣で小一時間ほど過ごした後、廊下に出ると、永平寺の来歴を記した年表があった。しばらく眺め、年表を過ぎて3段ほどの階段を上がると、七堂伽藍の一つ、「東司(とうす)」に到る渡り廊下が、「そこ」であった。
あの時と同じように、木目の美しい廊下が輝いていたのである。階段を上り切ったところ、一番端に陣取り、しばらくのあいだ、思い出に浸った。人が行き交う。七堂伽藍に向かう人もいれば、戻ってくる人もいる。特段見るべきものがないその渡り廊下の端にじっと立ち続ける私を不審に思った人もあったかもしれない。
「超一流講師」たる「殿下」とともに、初めて永平寺を訪れた際、私は、この磨き抜かれ、輝きを放つ廊下の美しさに気付けなかった。殿下の撮った写真を見て初めて、その美しさに気がついたのであった。
そう言えば、あの時、「心念不空過」と書かれたポスターが貼られていた。その言葉を「心に念じて空しく過ごさず」と読んだ私は、てっきり、道元著の「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」の一節でもあろうと思った。今は、その言葉が「観音経(かんのんぎょう)」の一節であることを知っている。
「心念不空過」に続いて、「能滅諸有苦」と続く。「心に念じて空しく過ごすことがなければ、あらゆる苦しみは消滅する。」
「観音経」は、道元が修行した、比叡山延暦寺を総本山とする天台宗や真言宗でも唱えられるお経である。
絶対にその場所を特定しようと堅く心に誓っていた、光り輝く廊下に出会えた私は、それが大きな目的の一つでもあったので、心ゆくまで、その「美」に酔いしれ、殿下の優れた審美眼(しんびがん)にも思いを馳せたのであった。