2024.08.13

肉親を失うことについて ⑤

 815日、午前中に日本武道館に向かう。バスガイドさんから再度、バッジがちゃんとついているかの確認を求められた。

 駐車場に入ると、既に何台ものバスが来ていた。係員の誘導に従って、所定の位置に駐車が完了した。と同時に、警備の人が入ってきた。一般の警察官の服装ではなかった。一言も発しない。鋭い眼光で、車内の全ての人の顔と、バッジを確認している。天皇皇后両陛下のお出ましや、三権の長が武道館入りするのはもっとずっと後の時間帯であるが、事件を起こしそうな、怪しい人間をまずは入場させないことが重要だからであろう。ただ、さすがに緊張した。全ての人に視線を向け、無言のまま車内を出ていった。

  武道館は、すごい数の人であった。我々に割り当てられた座席は、2階席である。「国費」の人たちは、1階のアリーナ席に座る。軽食とお茶が配られて、食事を済ませる。

 現在は衆議院議員となっている、当時の三重県知事も姿を見せたし、与党、野党問わず、何人かの国会議員の姿もあった。

 開式の時間が迫る。額縁に入った祖父の遺影を出し、胸の前に捧げ持つ。二人で、今から始まるすべてのことを見届けようと思っていた。

 祖父はどんな思いだったろう。一度は無事に帰還したものの、再召集を受け、今度こそは命はないと自らに言い聞かせながらの出征であったと想像する。幼い子どもたちと妻を残し、死に行く無念さ、悲しさは、筆舌に尽くしがたいものであったに違いない。自分の親たちが結婚する際の「約束」を果たし、死にゆく直前、母親の姓に改姓したエピソードも、私にとっては大変感慨深い。

 いよいよ、始まる。安倍首相をはじめとした、三権の長が壇上に上がる。

 現在は平成上皇陛下におなりの、今上天皇(きんじょうてんのう・在位中の天皇を指す言葉)がお言葉を述べられる。全国戦没者追悼式にご臨席になるのは、これが最後なのである。平成30年度のこの追悼式に列席できたことに、改めて感慨を覚える。

 天皇、皇后両陛下は、途中でご退席になる。

 壇に設けられたスロープをゆっくりお進みになり、天皇陛下に続いて、陛下の少し後ろをお進みであった美智子さまが、奥にお下がりになろうとする直前、お立ち止まりになり、会場にいる我々にゆっくりお顔をお向けになって、会釈をなさったのである。美智子さまのご様子に気づかれた陛下も歩みをお戻しになり、お二人で軽く会釈をなさって、静かにご退席になった。

 感動的であった。

 平成天皇と美智子皇后両陛下がともにお手を携えながら、日本国民統合の象徴として、戦争であまたの命が失われたことを憂い、沖縄、サイパン島、ペリリュー島への慰問を初め、東日本大震災、各地で頻発した災害によって被災された方々のところへ足をお運びになって、直接お言葉をかけて来られた光景をテレビで何度も見てきた。そのお二人の優しい、温かいお人柄に、じかに接することができたのである。

 ペリリュー島の戦いは、真珠湾攻撃やミッドウェー海戦、インパール作戦などに比べると有名ではないので、知らない人も多いかと思う。パラオの島で、太平洋戦争末期の激戦地。日本兵だけで、全滅に近い1万人の戦死者を出した過酷な戦いである。

 戦争を直接体験した方々が高齢化し、戦争の悲惨さ、むごたらしさが風化してしまう危険性が指摘される。語り継がねばならないこと、決して忘れ去られてはいけないこと、幾多の惨禍が二度と再び起きてはいけないことを、教育に携わる者として、遺族の一人として、伝える責務を負うていることを肝に銘じている。