2024.09.20

歴史を正しく伝えることについて ①

 この夏、別子銅山の記念館を訪問した。

 私の祖母が幼少の頃、別子銅山で起きた労働争議に巻き込まれ、いのちの危険さえ及ぶ状況に巻き込まれた話をかつて聞かせてくれた。

 夏、ブログでその話を紹介したので一度行ってみようと思い立った。愛媛県の新居浜市には行ったことがなかった。もとより、現在は廃坑となっている別子銅山も初めてである。

 「別子銅山記念館」は、経営していた旧財閥が管理、運営するもので、入館料は必要なく、記帳のみ求められた。銅だけのことではないだろうが、地下資源の採掘というものが、いかに大変なものであるのかを、数ある展示物や大画面の動画、館内の説明書き等によって知ることができた。

 順路に従って、館内をゆっくり見て回った。祖母の出身地とは言え、もう来ることもないという思いもあり、丁寧に見学をしたが、最後の最後で強烈な違和感を覚えたのである。

 別子銅山の沿革、年表を興味深く眺めた。いろいろ書いてはあったものの、労働争議に関する記載が一切ない。警察だけではなく、軍隊まで出動する大規模な争議が2回もあり、おそらく死者も出たであろうし、多数の逮捕者も出たであろう。その大きな「事件」を全く記載しないというのはどういうことだろうか。

 おそらく、「負の歴史」であるからだろう。経営側からすれば、できれば知られたくない事実ではあるだろうが、歴史を正しく伝えることは、非常に重要なことであるはずだ。負の歴史から目をそらせば、そこから学ぶことができなくなってしまう。後世の人間が、実際に起きたことを正確に知ることが困難なものとなってしまい、最悪、歴史の歪曲(わいきょく)にさえ、つながりかねない。

 「労働争議」にわずかに関連するものとして、戦後の5月1日の「メーデー」に、労働者たちが「賃金を上げろ」と書かれた横断幕の前で集まる写真が掲示されているのみであった。「お飾り」と評するほかない。