「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる。」
ドイツのワイツゼッカー大統領のことばとして有名である。「現在」どころか、「未来」においても、そうなってしまう危険性が大きいように思われる。
「負の歴史」をあからさまにしたくない気持ちは、わからなくもない。経営側からすれば、できれば知られたくないことではあるだろう。しかし、「別子銅山記念館」という名称で、一般に公開している以上、「労働争議」という、日本の近、現代史において避けることのできない歴史的事実に対して、目を閉じ、年表に記さないという姿勢はいかがなものであろうか。
明治、大正時代から昭和時代にかけて、全国的に頻発した「労働争議」「小作争議」は、社会的にも大きな影響を及ぼした「事件」である。何も別子銅山だけで起きたものではなく、鉱山における労働争議なら、戦後に起きた「三井三池争議」はよく知られている。
その財閥が、別子銅山における銅の採掘により、財力を大きく伸ばしたというのは今まで知らないことだったし、それ以外にも、いくつかの知見が得られたことも事実である。しかし、「過去に目を閉ざす」その姿勢には、がっかりもしたし、危険であるとも感じたのである。
「自虐史観(じぎゃくしかん)」ということばがある。「自虐」とは、自らが自らを痛めつけること、「史観」とは、歴史をどう把握し、解釈するかという捉え方、考え方を指す。主に、太平洋戦争について、どのような見解を持つかによって、使用される。
戦争を美化するつもりもなければ、戦争で多くの人々を苦しめた事実に対する反省はすべきだとは思うが、必要以上に日本の戦争犯罪をあげつらうつもりもない。自虐史観とは、縁遠い歴史観を持つと自認している。
ただ、過去に学ぶという視点、姿勢を持つ必要はあると考える。過去の過ちは過ちとして認め、それを繰り返さないこと、繰り返させないことが大切なのではなかろうか。
「記念館」には、旧財閥の繁栄が、誰の、どのような事績(じせき)によって成し遂げられたかを賛嘆する展示や動画もあったが、歴史を正しく伝えるという、ある意味最も大切な視点が欠けていた。それが残念だ。