「風になびく 富士の煙の」と続くこの短歌を読むと、当時の富士山から噴煙が立ち昇っていたことがわかります。
「現在のところ」という注釈がつきはしますが、日本最古の物語とされる「竹取物語」は知っていますね。そう、かぐや姫のお話です。この、現代にも通じるストーリー性を持つ優れたお話のラストには、次のように記されています。
「(前略)その山を『富士の山』とは名づけける。その煙、いまだ雲の中へ立ち昇るとぞ、言ひ伝へたる。(その山を『富士山』と名付けた。そして、富士山から立ち昇る煙が、いまだ、雲の中へ立ち昇ると言い伝えているのである。)」
「竹取物語」が書かれたのは、平安時代の初期、いっぽう、今回紹介する短歌は平安時代の末、というより、鎌倉時代初期と言った方がいいころです。
源頼朝が全国に守護、地頭を置き、実質的な権力者になった年が1185年、ここを鎌倉時代の成立とするか、最期まで源頼朝に「征夷大将軍」の位を与えなかった後白河法皇が亡くなり、その後を後鳥羽上皇が引き継ぎ、頼朝からの圧力に耐えきれなくなって「征夷大将軍」に任命し、頼朝が名実ともに天下人となった1192年を鎌倉時代の成立とするか、ここは意見の分かれるところで、この短歌が詠まれたのは、この7年の間のことでした。
いずれにせよ、8世紀から12世紀にかけて、富士山が活火山として噴煙を上げていたことは、これら文学作品における記述からも明らかなのです。