2025.02.26

空に消えて…③~短歌~

「風になびく 富士の煙の 空に消えて」、これで上句(かみく)となります。上句とは、短歌における最初の「五・七・五」を言います。下句(しもく)が、上句に続く「七・七」ですね。この上句においては、作者、西行法師にとっての実景が描かれています。

西行は「三大和歌集」の一つ、「新古今和歌集」において、中心的な撰者である藤原定家(ふじわら・さだいえ)を差し置いて、選歌の数で最多を誇ります。「勅撰(ちょくせん)和歌集」と言われる、天皇の命令によって集められる歌集に自作の短歌が一首でも選ばれることは、歌人にとって、この上ない名誉でした。この事実からもわかる通り、西行は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての歌壇を代表する歌人だったのです。

西行はもともと「北面の武士」と呼ばれた武士でした。当時は「院政」が敷かれていました。院政とは、「摂関政治」で中心的な役割を担っていた藤原氏の影響が弱まり、天皇が息子に天皇の位を譲り、自らは「上皇」となって、政治の実権を握り続ける政治体制のことです。鳥羽上皇の警護を担う「北面の武士」は、「朝廷」に勤務するいわば国家公務員のような立場ですから、一般的な武士に比べると位も高かったのですが、西行は、その地位や名誉、栄達、そして妻子までをも捨てて出家し、各地を放浪しながら、歌の道に生きたのです。