「風になびく 富士の煙の 空に消えて ゆくへも知らぬ」まで来ました。「ゆくへも知らぬ」の「ゆくへ」は、現代語の「行方(ゆくえ)」です。どこに行くのかわからないもの、その一つが風になびく富士の煙」であることは、おわかりですね。あと一つ、どこに行くかわからないものが、結句(けっく)に示されます。「結句」とは短歌の最後の七音を指します。
平清盛の「南都焼討」によって、奈良の各寺院の多くが焼失したことは最初に書きました。当時としては、相当な高齢と言ってよい、69歳の西行は、東大寺再建のためのお金を集めるため、奥州の藤原氏を訪ねる決意をします。金の採掘で奥州藤原家は栄えていました。有名な中尊寺の金色堂を建てたのも藤原氏です。
遠く奥州まで旅をすることには、相当の覚悟が必要だったことでしょう。言うまでもなく、全て徒歩です。雨も降れば、きつい山道もある。いかに長い間、旅に生きてきた身とは言え、気力を振り絞っての旅であったことは、想像に難くないのです。そして、奥州に向かう途上、富士山を見て詠んだ短歌が、今回紹介している作品なのです。