仕事柄、1点に泣いた受験生、逆に、1点に笑った受験生を見てきた。
受験が1点を争う熾烈な「勝負」である以上、たった1点の差が合否という、天と地の差を生むことは、ある意味自明のことと言ってよいだろう。
「東大に入学して東京6大学で野球をする。」という目標を立てた彼の、そこからの努力はすさまじいものがあった。これに関しては後述する。
私立は早稲田、慶応で合格を果たし、満を持して東大文Ⅲの入試に臨んだ。結果は、合格最低点との差、0.699点での不合格。「1点」での泣き笑いを見てきた私も、コンマ699点差での不合格は、初めて聞いた。ちなみに、小数点が出るのは、すべての試験が100点満点という訳ではないからである。たとえば、130点満点の試験があれば、それを100点換算にしたとき、小数点が出る。
阪大に進学し、卒業時には、一流企業の就職内定もいくつかもらった彼だが、すべて蹴って、北海道で暮らすことを選ぶ。京都に戻ってから、塾講師として活動を始めた彼が、超一流たる所以は、ここからである。
社会人になってから、現役当時、不合格になった東大文Ⅲへの合格を果たすのである。「自分の力を維持するため。」そういった言葉も聞いたが、彼は東大だけではなく、東京外国語大学にも合格している。教育業界に就き、現役の高3生を教えることも多いとはいえ、当時のセンター試験を受け、それぞれの2次試験の勉強もせねばならず、誰にでもできることではない。
仕事が終わってから、深夜営業のファミレスで、問題に向き合う。科目は確か数学だったろうか、何分か考えて解けなかった自分が歯がゆく、情けなく、自分への怒りが思わず爆発し、グラスを割ってしまった。事情を店員さんに説明し、弁償した。
あと一歩で東大合格を果たせなかったものの、現役時代、極めて高い学力を持ち、塾講師として高3生を教えることもプラスに作用することがあったにせよ、社会人として働きながら、東大という我が国の最高学府に合格することの大変さをご理解いただきたい。全国の逸材たちがここを目指して日夜勉学に励むのだ。天才や秀才の名をほしいままにするような全国各地の俊英が、ひたすら勉強して東大合格を目指す。そんな中、働きながら、彼らに交じって東大に合格を果たすことがいかに困難なことか、想像に難くないであろう。
この逸話からも、彼の並大抵ではない努力の賜物があればこその結果であることをご理解いただけるように思う。「血のにじむような」という表現を聞いたことがない人は皆無だろう。そして、その比喩が陳腐なものに映るほどの努力をまちがいなく彼はやり遂げた。そして見事、東大合格に結実させたのである。
ただし、東大に合格することが、超一流講師の要件ではない。教育という仕事にも当然ながら向き、不向き、適性の有無がある。東大に合格した者が一様に、超一流の教育者になれるわけではない。
彼が自らの失敗、成功をもとに、独自に編み出した指導法が、きわめて有効に、受験生の学力を飛躍的にアップさせ、志望校合格に導く。その上で、教育にかける情熱も高いレベルで有する。だからこその、「超一流」なのである。