2023.08.03

超一流について ①

量子力学における有名な思考実験、「シュレディンガーの猫」を私に教えてくれたのは、非常勤講師として働いていた、当時大学生だったかつての教え子だった。
その後、愛称「殿下」の薫陶を受けることによって、量子力学はもとより、哲学、宗教学の基本や知識を少しずつ身に着けたのであった。

彼との出会いは、昇英塾の総会。その日、私は講演者として演台に立った。指導者、管理者のあるべき姿を分類した、心理学、および経営学の理論「マネジリアル・グリッド」を塾講師に当てはめたとき、どういう態度、姿勢で授業に臨み、クラスや校舎運営をどう方向づければいいのかについて話したのである。
会の開始直前、殿下が所属する校舎の教室長が、座席に着きかけていた殿下をさし示して、耳元でささやいた。「あれが、~です。」落ち着いた身のこなしは今も脳裏に焼き付いている。講演するので緊張するのは無理もないが、その教室長から「彼は非常にいい授業をするし、とても鋭く、賢い。」などと聞かされた私の緊張感は、いや増したのであった。
一流の人間は、自らの知識をひけらかすこともなければ、他人を見下すようなこともない。殿下もまさしくそうであった。該博な知識を持つ殿下と何とか対等に話すことができた学問分野は、文学、歴史、心理学、宗教程度であったが、私が自らの無知を恥じ入ることもなく、謙虚に教えを乞うことができたのも、ひとえに彼の持つ優しさ、大きさと言ってよかろう。実際、仏教学の泰斗、中村元について話をしたのは、私に友人が少ないからでもあろうが、後にも先にも、殿下一人なのだ。
年齢的には私がいくつか上なので、彼は私に対して、常に敬語で接してくれた。私はと言うと、いつも関西弁のタメ口で話した。しかし、昇英塾のブログで、殿下の書いたブログに対する感想や、一緒に行った寺社仏閣での話などを書く時は、敬意をこめて「大先生」と呼称した。同時に、文章中で敬語を使うことをためらうこともなかった。超一流の人間に対する最低限の礼儀である。
殿下自身は、自らが「大先生」と呼ばれ、私から敬語で扱われることに対して、照れや面はゆく感じている様子を見受けたが、心からの感謝と敬意をこめて「大先生」と呼称し、敬語を使い続けた。
私の普段のしゃべりの大雑把さやざっくばらんな話しぶりと、ブログを書く際の文体とのギャップは大きいと自覚する。そして、私の書く文章を高く評価してくれたのも殿下なのである。