2023.08.23

超一流について ⑤

殿下から届いた最後の年賀状には、殿下自身が撮ったものであろう、「琵琶湖と薄明光線」と記された写真が印刷され、「ゆっくりとアタラクシアの境地へ」とあった。
アタラクシアとは、心の平穏な状態を意味する古代ギリシア哲学の用語である。
このメッセージからもおわかりいただけるかと思うが、殿下は、物質的、経済的な豊かさを求める生き方とは明確に一線を画し、学び続ける姿勢を崩すことがなかった。穏やかな性格で、人を批判する姿、子どもを叱責する姿を一度も見たことがない。泰然自若という言葉がこれほど見事に当てはまる人間をほかに知らない。

かつて、特進科の中3生になった、我が子の国語を指導することになったことがあった。他の生徒より厳しくすることもなければ、娘だけ甘やかすなどといったことをするつもりもなく、普通に教えていく自信もあって授業を始めたのだが、ほどなく、やはり無理だということが身に染みた。娘以外の塾生に指導する際、常に娘の視線が気にかかる。バカ話をするのも、気が引けて、はばかられてしまう。
殿下に頼んだ。「どうしても無理や。悪いけど何とか交代してくれへんか。頼む。」私の依頼を快く受けてくれたのであった。
娘なりにがんばったのも確かであろう。公立入試の国語で彼女は満点を取った。ただ、殿下の指導あったればこそのものであるとも確信する。もちろん、娘にだけ力を尽くしたわけではないことも疑いはないが、娘がいたからこそ、このクラスの指導では、超一流の技を存分に発揮してくれたのではないだろうか、そんな気がする。ほかのクラスで手を抜くような殿下ではないが、ここ一番という時に、いかんなく発揮される超一流の指導は、きわめて高いレベルに子どもたちを導く。もちろん、私に一言も言わず、恩着せがましいなどといったことも一切なかった。前にも述べたように、義に篤いのが殿下である。

殿下の、突然であまりに早すぎる訃報がもたらした悲しみと喪失感は大きく、私の中でいくつかのことが変化した。仕事面では、今まで以上に、使命感を抱きながら授業を行うようになった。子どもたちの学力アップ、志望校合格を中心に据えながらも、成長過程にある彼らの人間的成長に少しでも寄与したいという思いが一層高まったのである。仲田会長に声をかけていただき、特進科に戻ったいま、その思いは募るばかりだ。