2023.09.17

「国語を教えることについて ①」

「言葉は、その一つひとつの背景にさまざまな事を映し出し、その映し出したことをまた言葉で表現する、とても美しいものだと思います。

 その面白さや、例えば人々の暮らし、在り方など、たくさんの事に興味を持って多様な視点で物事を思う力を、感覚だけではなく知識を持って自由に広げていく力を~先生に育ててもらえると感じました!」

 

 ある保護者から頂戴したメールである。なんと有り難いお言葉であろう。講師冥利に尽きる思いである。

 この保護者は、本科小学生のお母さまである。「言葉」が持つ力や、本質の一端を見事に表現なさっている。

 

 本科生を教えるのと、特進科生を教えるのとでは、おのずと指導の内容が変わる。

 特進科においては、中学受験という高いハードルを越えるため、人気のある進学校であればあるほど難化する入試問題をいかに読み、いかに解くか、1点でも多く得点するにはどうするか、これを徹底的に教え込む。

 9月現在、6年生に教えている内容は、中学3年生の特進科生に教えている内容をはるかに超えた。中3特進科生は、これから追い込みに入り、いろんな講座が展開されるが、6年生に追いつくことはない。6年生には、4月段階で、既に公立中学での学習内容を一部超えた内容で授業を展開している。そうしないと、偏差値65を超え、70以上に引き上げることは困難である。というより、無理なのだ。

 一方、本科生には、国語力を上げるという大きな目標はあっても、入試という明確なゴールがない。入試での得点力を上げるのと、国語力を上げるのとでは、

指導内容に差が生じるのは、自明の理と言ってよいだろう。

 

 ブログ「超一流について」で紹介した、通称「殿下」が亡くなって、早二年である。超一流の不在を埋められる力を残念ながら持ち合わせてはいないが、穴が少しでも埋まるよう、自分なりにがんばっているつもりだ。2年前の9月中旬、志半ばで急逝した「殿下」の鎮魂も兼ね、今回のテーマに挑んでみようと思う次第である。

 国語にとどまらず、どの科目を教えるに際しても重視されるべきは、「言葉」である。冒頭で紹介した保護者のメールには、言葉は、「とても美しいもの」とあったが、まさしく、我が意を得たり。殿下も、泉下で同様に言うにちがいない。そうした話題で彼とは何度も話し、そうした思いで、互いに国語を教えてきたから、わかるのだ。

 結論をどう導くか、どういう構成で書くか、決めずに書き始める。詰まれば、殿下がきっと助けてくれるだろう。