2024.05.09

「子どもたちの作品 ①」

 小学6年生の感想文を紹介する。一部、加筆訂正を施した。

 

 私が「今、いのちがあなたを生きている」という言葉を聞いてまず思ったのは、いのちと一緒に生きているということだ。(中略)

 私は無理やりいのちをうばおうとしたことがある。毎日がつらく、楽しさもなかった。けれども、わかったのである。生きるという意味を。生きていれば、家族と話ができる。生きていれば、遊ぶことだってできる。その、生きるという楽しさを自分でなくそうとした私はバカだ。でも、バカでアホな考えをなくして今がある。

 私は、あのつらさがなかったらよかったのに、あれがなかったら幸せだったのにと思っていた。けれども、それがあってこそ、今いのちを生きていることが改めてわかった。

 経験のおかげで、あたりまえのことがむずかしくなったり、簡単になったりする。その経験もいのちのおかげだ。楽しさのもとは、いのち。

 「今いのちがあなたを生きている」

 いのちのおかげで楽しいことができる。ありがとう、いのち。

 

 普段から明るく、にこにこしながら私の授業を受けるこの塾生に、どんな悲しみや辛い経験があったのか、知る由もない。だが、こう書けたのなら、それは大きな成長であり、気付きであったに違いない。

「生きるという楽しさを自分でなくそうとした私はバカだ。でも、バカでアホな考えをなくして今がある。私は、あのつらさがなかったらよかったのに、あれがなかったら幸せだったのにと思っていた。けれども、それがあってこそ、今いのちを生きていることが改めてわかった。(中略)ありがとう、いのち。」

 冒頭2行目、「いのちと一緒に生きている」と、結末に置かれた「ありがとう、いのち。」という表現から、この塾生は、「いのち」を擬人化し、別個の存在としての「いのち」を想定していることがわかる。一つの立派な解釈であり、これをもっと深く掘り下げてーなどという注文は、6年生には酷というものである。これだけ書けたら、言うことはない。