2024.05.22

感性を育むことについて ②

 小学生の塾生が塾に来る道すがら、咲いていた花をF先生にあげようと摘んできてくれた話をブログで紹介した。その最後に私は下記のように書いた。

 

 親御さんの情操教育の賜物であろう。ただ、「F先生にこのきれいな花をあげたい。」そう感じさせるF先生の指導、子どもへの声掛けがあればこそでもあるだろう。

 学力だけではない、子どもたちの感性、感受性をも育める教育を提供できる場であり続けようと思う。

 

 多少、しおれてはきたが、今もきれいな花が私たちの心を和ませてくれているのである。ブログ「感性を育むことについて ①」は、日曜日にアップしたので、ご家庭には、お礼と同時に、ブログをご一読くださるよう、メールを差しあげたら、すぐさま返信をいただいた。文面を見て、得心が行った。  

 

親が特別な教育をしているわけではありませんが、私たちにも花を摘んで来てくれたり、お友達に手紙などのプレゼントをしたりしていることを褒めているのが、~の気持ちの成長に繋がっているのなら嬉しく思います。

F先生のことが大好きで、レプトンでの勉強が大好きな~の気持ちが先生方の励みとなっていただけたら幸いです。

素敵なメール、ブログをありがとうございました。

今後ともよろしくお願いいたします。

以上です、失礼いたします。

 

 私の「情操教育」との表現は、大げさであったかもしれない。しかしながら、家庭でのわが子に対する接し方、声かけが、まさしくその子が豊かな感性を持つに至る最大の要因であることに疑いはない。

 同時に、この文面から伝わってくるものは、豊かな感性を持つ親が子どもに対してこのように接すると、子どもも自然にそのような感性を持つに至るのだという事実である。

 塾生の思いやりにあふれた行為に心が和み、お父様のメールを読んで、「この親にして、この子あり。」ということわざの意味するところに改めて思い至った。と同時に、さらに気持ちが和らいだのは言うまでもない。

 メールの引用を快くお受けいただいた保護者様には、心より感謝申し上げます。