2024.05.13

「子どもたちの作品 ⑤」

 中学2年生の感想文を紹介する。昨日紹介したものと同様、「今、いのちがあなたを生きている」について書いてくれたものを一部、加筆訂正している。書いているうちに、考えが深まり、自分なりの解釈に到達した。その過程をたどってほしい。言語化することの意義がおわかりいただけるかと思う。

  私は、この言葉を最初に先生から伝えられたとき、意味がわからなかった。私は、いのちがあるからこそ生きている。そんなことは当たり前だが、いのちが私を生きているとはどういうことか。私がいのちを生かしているのか。考えれば考えるほど、ますますわからなかった。これが私の素直な感想である。

 だが、何度もこの言葉をくり返し見るうちに、少し意味がわかるようになっていくように思えた。

 私がこの言葉と「日本の四季について 春④」から感じたことは、私は、私がもっているいのちだけで生きているわけではないということだ。

 私自身一人で生きているわけではない。私は常に誰かに支えられて生きている。どこの誰かもわからない人にも、知り合い、友達、家族など数えきれないほどの人に支えられている。その人たちのいのちを少しずつ分けてもらっている、と私は考える。

 そしてこれは人だけではない。動植物や物にも支えられ、いのちを分けてもらっている。「春④」と同じように、桜を見て美しいと思ったときには、桜のいのちを分けてもらっているのだ。

 だが、いのちをもらうだけではないと思う。私自身もいのちを分けている。それを無意識に心で行うのだ。私のいのちを分け、かわりにいのちをもらうのだ。

 こうして私のいのちは成り立つのだ。そのいのちが、私の中を生き、いのちが生きるからこそ、私を生かしていくのだ。

 これを私たちは常に行い、繰り返すことでいのちが生まれ、大きくなっていく。これが「今、いのちがあなたを生きている」についての私の感想であり、意見である。